シュンラボストーリーズ第1章:第36話 シュンシュンが影響を受けた文学作品 ちょっと古風ですが・・・
どうもシュンクボです(^^♪
本日もご覧くださりありがとうございます!
今回は、シュンシュンの過去の傾向が垣間見える話ともなっております。ビジネスとは全く無関係と思って侮っている閲覧者の方ほど、決して侮るなかれ!笑( ´∀` )
※シュンラボストーリーズは自伝的フィクションです。シュンクボ自身の体験談にもとづいてはおりますが、時間・場所・登場人物などの設定が、関係者のプライバシーを考慮した都合上、実際の事実とは異なる場合もあります。予めご了承ください。
〇前回までのあらすじ
ビジネス音痴、接客音痴のシュンシュンが、カリスマコンサルタントのオセアニ~のミニビジネススクールに通うことになったきっかけを作ったのは、実は、シュンシュンが影響を受けた文学作品・映画作品が関わっていた。オーギュスト・ストリンドベリの戯曲『夢の劇』とジュゼッペ・トルナトーレ監督の映画『ニューシネマパラダイス』である。2つの異なる芸術作品は、彼の精神の核心に迫る何かがあって、それがどうやらオセアニ~に出会う流れを作ったと、シュンシュンは自分で考えた。果たして、一体、ビジネスとは対極にあるイメージを持たれがちな芸術作品が、投資やビジネス現場でカリスマとなったオセアニ~に出会う成り行きを、どのように用意したのだろうか!?
オーギュスト・ストリンドベリの『夢の劇』
ジュゼッペ・トルナトーレ監督の映画『ニューシネマパラダイス』
シュンシュンはまず、スウェーデンで誕生した作品『夢の劇』について考えた。
この作品を知らない閲覧者の方も多いと思われるので、前置きを説明しておく。
この文学作品は、正確には戯曲、わかりやすく言うと、舞台演劇用の台本である。
実際には、舞台演劇で上演されるのは非常に困難だと言われていて、
作品が出来上がってからだいぶ時を経て、
映画監督の巨匠ベルイマンが初めて舞台上演に成功したといわれている。
作者のオーギュスト・ストリンドベリは、
小説や戯曲を書いていたのだが、
アーティストの中でもかなりマッドで奇抜な癖があって、
女優と結婚したのはいいが、後に、
変な被害妄想に憑りつかれて、
ほとんど発狂寸前のところまで自分を追い詰め、
自分の殻に閉じこもりながら後半生を生きた作家である。
さてこのストリンドベリ、
この『夢の劇』を書いた頃、
実はかなり神秘主義の書籍にハマっていた。
今で言うスピリチュアル・精神世界の分野に、である。
当時有名だったのは、
このスウェーデンボルグ、
シュンシュンが都内某有名書店の本店で著作を探してみたところ、
実際に、スピリチュアル・精神世界の棚に分類されて置かれていた。
しかも、あまり知られていないからあまりないと思っていたら、
分類棚にその名前が差し込まれているくらい、
知る人ぞ知るスピリチュアル文学・宗教・科学者のようで、
その多さにシュンシュンはかなり驚いたくらいだった。
そのスウェーデンボルグにインスパイアされて作られたのが、
この『夢の劇』だった。
話の筋書きは、
天界の王様の娘が、地球の世界とはどんな世界なのか、を体験するために、
地球に降臨して地球人になる、というものだ。
こうしたプロットを持つ芸術作品や物語やおとぎ話や神話の類は、
かなり多いのではないか、とシュンシュンは考えた。
というのも、
シュンシュンが中学の頃にハマった、
北欧神話の影響を受けたテレビゲームソフトも、
そのストーリープロットが、
天界から地上に降りてくる、という筋書きだったからである。
このゲーム作品はさておき、
様々な人たちと関わることで、いろんな感情を経験する。
弁護士や論理学者や門番やポスター張り等々。
彼らと、様々な場面で、様々な役割を持って関わる。
本当に彼女が体験する場面も社会的立場・役割も、
コロコロコロコロ、代る代るに変わるのである!
本当に目まぐるしく変化するので、
当時の舞台上演が不可能と判断されたとしてもおかしくはない。
確か、シュンシュンの記憶では、
弁護士と結婚して子供を産み、
あわただしい家庭生活でにっちもさっちもいかない場面などが描かれたりしていた。
論理学者や数学者との論争を、オブザーブする奇妙な場面も印象には残っている。
特に論理学者と数学者とのコトバをめぐる論争は、
脈絡も意味もないようでありながら、
「俺が大学院時代に所属していた大学の学者なんて、
世間一般の人たちからすれば、案外こんな風に映るのかな?」
なんてショックと感動を彼は同時に覚えたものだ。
作者ストリンドベリは、この劇を、
本当に人間が夢の中で夢を見るような世界を表現しよう、
と意図したらしい。
その意図は読者のひとり、シュンシュンにも伝わっていた。
シュンシュンは、この戯曲を読んで、夢の言語、無意識の言葉のように、
確かに思えたからである。
それでいながら、シュンシュンには、
この芝居台本の、一見脈絡もないコロコロ変化するストーリーの中に、
論理の一貫性と、
コトバの持つ豊かな響きと神秘的な世界観とが、
確かに見出せるように感じられた。
もちろん、表面上の筋書きは破綻しているけど、何か、
通常のコトバや論理をもっと根底から支える何かが、
重低音のようにプロットの骨組みの地底に、一貫しているように思えたのだ。
そんな不思議な体感を、シュンシュンはこの作品から受けたのだった。
シュンシュンの過去に引っ張られて、
シュンクボのブログとしての文体形式もすっかり破綻してしまったが、
単純に言うと、舞台の芝居台本としてというよりも、
ひとつの文学作品、コトバの錬金術のストーリーとして、
当時のシュンシュンは感動したのである!
そして、シュンシュンは、感動した瞬間、こんなことを考えたのだった。
もしかして、
この世界も、ひとつの夢物語のようなものに過ぎないのではないだろうか?
つまり、
地球もまた、
宗教家や仏教徒の多くがそれぞれの著作で述べているように、
幻想の世界のひとつに過ぎず、
俺もまた、ひとつの幻想の世界に生きる、
ひとりの主人公のようなものなのではないだろうか?
と。
今日はこのへんで(o^―^o)
本日もご覧くださり、まことにありがとうございました!
シュンクボ(^▽^)/