シュンラボストーリズ第1章:第37話 シュンシュンが影響を受けた映画作品とは!?

どうもシュンクボです。

本日もご覧くださりありがとうございます!

前回はシュンシュンが影響を受けた演劇台本の文学作品について書きました。

今回はシュンシュンが影響を受けた映画作品について書きます。

どうぞよろしく!!!

 

 

※シュンラボストーリーズは自伝的フィクションです。シュンクボ自身の体験談にもとづいてはおりますが、時間・場所・登場人物などの設定が、関係者のプライバシーを考慮した都合上、実際の事実とは異なる場合もあります。予めご了承ください。

〇前回までのあらすじ

ビジネス音痴、接客音痴のシュンシュンが、カリスマコンサルタントのオセアニ~のミニビジネススクールに通うことになったきっかけを作ったのは、実は、シュンシュンが影響を受けた文学作品・映画作品が関わっていた。オーギュスト・ストリンドベリの戯曲『夢の劇』とジュゼッペ・トルナトーレ監督の映画『ニューシネマパラダイス』である。2つの異なる芸術作品は、彼の精神の核心に迫る何かがあって、それがどうやらオセアニ~に出会う流れを作ったと、シュンシュンは自分で考えた。果たして、一体、ビジネスとは対極にあるイメージを持たれがちな芸術作品が、投資やビジネス現場でカリスマとなったオセアニ~に出会う成り行きを、どのように用意したのだろうか!?

 

 

もしかして、

この世界も、ひとつの夢物語のようなものに過ぎないのではないだろうか?

つまり、

地球もまた、

宗教家や仏教徒の多くがそれぞれの著作で述べているように、

幻想の世界のひとつに過ぎず、

俺もまた、ひとつの幻想の世界に生きる、

ひとりの主人公のようなものなのではないだろうか? 

 

ストリンドベリの『夢の劇』を読んでから、

上記のような心境に立ってシュンシュンが観た映画が、

ジュゼッペ・トルナトーレ監督のイタリア映画『ニューシネマパラダイス』だった。

 

この作品は、

映画を鑑賞することが趣味の人であるならば、

知っている人も多いことだろう。

トルナトーレ監督は、この作品によって、

アカデミー外国語映画賞を受賞した、̪シネフィルならば、

知らなきゃモグリだと言われかねないほど有名な名作である。

 

父親を第二次世界大戦で亡くした主人公は、幼い頃から、

地元シチリアの映画館に通い、

そこで、

映画技師として働いているおじさんと親しむようになる。

おじさんも幼い主人公のことをかわいがり、

いつしか二人の絆は、親子同然、いやそれ以上の絆で結ばれていく。

その父親代わりの映画技師のもとで、

映画技師の助手として働きながら、

やがて恋にも落ち、恋に破れて、シチリアからローマへ飛び出し、

世界的な映画監督となって戻って来る、というお話だ。

 

この作品でもまた、≪幻≫というキーワードがキーコンセプトになっている。

主人公は、恋人とすれ違いを重ねている時に、追い打ちをかけるように、

軍隊の徴兵制訓練に招集されてしまい、

すれ違いの電話を、必死でかけているがつながらない。

 

時は流れ、いつしか電話をかけることも忘れ、恋人もあきらめ、

訓練期間が終わって地元シチリアに戻った頃には、

地元シチリアも、すっかり時が流れてしまったかのように感じられてくる。

おとぎ話に出てくる浦島太郎になぞらえるのは極端だけど、

戻って来た主人公にとっては、まるで故郷には戻ってきたものの、

そこは、昔の故郷とは、明らかに違う場所のように感じられる。

 

確か、

と、シュンシュンは、映画についておぼろげに振り返りながら考えた。

 

「確か、父親代わりの映画技師も、外へ出ていくと、時間というものはあっという間に過ぎ去る。置いてきた故郷も、いつの間にか様変わりしていく。そんなことを言っていたな」

 

そして、父親代わりの映画技師はこうも言った気がする。

「≪全ては幻だ≫」

と、

シュンシュンは覚えている範囲で振り返った。

 

この映画が感動的なのは、

その父親代わりの映画技師が、

「俺が生きている間、故郷には絶対に戻って来るな! 都会に出て絶対に成功しろ、俺はお前の生身の顔ではなく、お前が成功したという噂話とニュースを聞きたい」

というようなセリフを残して、主人公を旅立たせる一連のシーンだ。

 

映画技師は確か、映画館の火事が原因で、すっかり目が見えなくなっていた。

映画技師でありながら、目が見えなくなっていた。

そんな盲目の映画技師にとっては、

目の前に存在する主人公も、

誰かから口伝えに聞く、映画監督として成功した主人公も、

同じ、息子同然に可愛がってきた主人公として、

見て取り、感じ取ることができたのだろう。

 

映画監督として成功した可愛い息子のエピソードを、

昔の神話やおとぎ話に出てくるヒーローのように感じ、

味わうことが、盲目の映画技師にとってはかけがえのない≪映画≫だったのだ。

シュンシュンは映画を見た後、そう感じた。

 

シュンシュンにとっては、

その盲目の映画技師が、あたかも、

古代ギリシア英雄伝説オデュッセイア』を語り聞かせた、

盲目の詩人ホメロスにすら思えてきた。

ちょっと極端かもしれないけど・・・

 

でも、実際、『ニューシネマパラダイス』のある場面の中で、

ギリシャ神話を扱った映画も≪映画の中の映画≫として登場して来るから、

耳伝えに聞くエピソードが、

つまり、

主人公が地元を代表するヒーローになったというニュースが、

その映画技師ににとっては、幻でもあり、事実でもあるのだ。

 

そんな映画技師の影響を受けた主人公が、映画監督として、

映画を通して、壮大なエピソードを表現していく。

この親子の絆が、関係性が、物語をつないでいくのだと、

シュンシュンは思ったのだった。

 

映画の主人公は、映画監督として故郷に再び戻って来た時、

こうも言った気がする、とシュンシュンは振り返った。

 

この故郷は、まるで幻のようだ。何もかもがすっかり変わって見える。それでいて、大切な何かは、何もかもそのままだ。

 

というようなことを。

 

今日はこのへんで(^^♪

本日もご覧くださりありがとうございました!

シュンクボ(#^.^#)

 

注意:今回ブログの記事で取り上げた映画『ニューシネマパラダイス』に関する内容や「」で示されたセリフは、あくまでも、シュンラボストーリーズの主人公シュンシュンによる、記憶に基づいて再構成された内容とセリフ、つまり、ひとりの登場人物の感想と所見にすぎません。実際の映画の内容、とりわけスクリプトのセリフは、シュンシュンの朧げな記憶で振り返ったものとは、当然異なります。重ねて御了承願います。